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美味しさ

 先月(9月21日(水))NHK福祉番組に出演した際に、アナウンサー氏からコーヒーの味について質問があった。私としてはコーヒーの味を普段そんなに細かく表現はしていない。甘・酸・苦に強弱・上中下を付け加えるくらいで支障なく表現は済ませている。一方で色彩には何千という程の表現がある。この機会に味の表現がどのくらいあるかと調べてみた。
 調理科学者の早川文代氏はその著書「食語のひととき」で「おいしい」には120もの言い方があると書いている。
 コーヒー鑑定士検定教本で調べると、あったあった。コーヒーの香味評価用語の欄に各国の方式や数値での表示や言語解説としての表現。ところが、これらを的確に共通で通用する測定器のようなものは今のところ不可能である。鑑定人の官能能力が問題だ。
 このみちの研究者農学博士古川秀子氏の著書「おいしさを測る」(幸書房)の中にこんな話が書いてある。氏が永年勤務していた会社の組織力を動員して、従業員何百人中から味覚鑑定資格者(パネル)を選び出したところ、約1割程度と合格者は少なかった。さらにこのパネルを使って種々の実験を永年続けたが、優秀な味覚の持ち主であるはずのパネルも統計にばらつきがあり答えを決定することはかなり困難であったようだ。
 「おいしい」感じ方は老若男女、個人差、そのときの状況(季節・天候・時間帯・健康・嗜好)によって異なってくる。コーヒー鑑定士検定教本には研ぎ澄まされた鋭い感覚を持ったものより、長年の経験を培った高度の能力があるものが大であると書いてある。
 私事ではあるが、米寿の頃からコーヒーテストの折にデリケートな部分の細かい味がなんとなくしっくりとしない時があり気がかりではあったが、歳のせいとばかり思っていた。しかし、先頃ふと気がついたのが80歳代の後半に総入歯となったことであるが、これまで味覚というものは舌だけで感じるものと信じてきた。
 昔から甘は舌先、酸は両側、苦は奥と味蕾がそれぞれ受持ち器官の感覚に分布していると言われてきたが、後になって受持ち感覚はそれぞれに散らばり複雑な構造になっているという説もある。
 さて、あるとき家で手入れのために歯を外したとき、コーヒーを飲んでみたら驚いた。若いときのデリケートな味覚が蘇ってきたようだ。どうしてだろう?入歯は上顎の軟口蓋と下顎の歯茎(土手)をプラスチックで全部塞いでいる構造だ。味覚は舌だけではなく、軟口蓋や歯茎も動員しているに違いないと気付いた。
 総入歯の方は試しに外して味わってみてください。私も再び試してみたいが人前では失礼になるので、外すチャンスがなかなかなく困っています。

 忘れちゃいけないことがまだあった。
 コーヒーを愉しむ時には五感を全部動員することによってコーヒーの醍醐味を知ってほしい。

 味覚・嗅覚・視覚・聴覚・触覚
 
【嗅】味覚の次に重要なのは香りである。
 コーヒーをミルで挽くときの香り、淹てているときカップから立ち登る香り、そして嚥下の後から鼻腔に登ってくる戻香。
【視】
 カップに注がれたコーヒーは綺麗で琥珀色が冴え澄んで濁りがないこと。
 折角の透明な美味しいコーヒーも、コーヒーが主役であることを忘れて無神経な陶芸家のデザインした、コーヒーの水色を生かす配慮が欠けたカップがある。別欄(ランブルが長年辿ってきた珈琲の条件)のカップの項でも書いたように、アンデスの奥地の住民が使っているカップにもその配慮があった。素焼きでも内側は綺麗に白色の上薬で仕上げている。
 焙煎時に火力と時間で刻々と変化してゆく豆の色。特に煙の色に注意。
【聴】
 コーヒーをミルで挽いたとき、新鮮で保管が良いものは軽い気持ちのよい音がする。
 焙煎時の豆の爆発音(はぜる音)も注意が必要。
【触】
 普通使われているカップは分厚で、見栄えもよくないもが多い。コーヒーは熱いものと決め、冷めないようにと厚くしたものか。または、粗暴な扱いで欠損による消耗を防ぐためか。実に味気ない。カップの縁が唇に当たる感覚は大変デリケートで分厚なものより薄手の方が気持ちがいいものである。
 手ごろの大きさのカップは掌で包むように、そのぬくもりを愛で楽しいもの。取っ手は不要のもと思う。コーヒーの温度について重大要素を占める「ぬるいコーヒーは不味い」との思い込みの方が多い現況で、いま少しコーヒーの温度について関心を向けてもいい。酒は人肌くらいが味がよく判る。玉露も然り。本当においしく淹てられたものはピュアのまま、再加熱しない。

 砂糖・ミルクを入れてガラガラ掻き回す  コーヒーは熱くする
 鮨屋のお茶は熱いのに限る   etc
コーヒーの世界は愉しみが多くて面白い。

関口 一郎 91歳