珈琲にまつわるちょっと面白い話
一般の喫茶店で使っていた珈琲は米軍のキャンプから流出していた闇の珈琲が主流だった、戦後まもなくの時代の話である。
ある日、業界紙を発行している新聞社の記者が、熱心なコーヒー愛好家の集いの開催を企画していると言ってきた。講師は池部均氏(池部良の父)政治漫画家、矢野目源一氏(軟文学者)、某東大教授(仏文科)が決まっているが、貴方にトリで珈琲の話をしてもらえないかと言う。会場は本郷赤門前のルオーという喫茶店ですでに交渉も済んでいる。うまく話に乗せられて、当日会場に行ってみると20人位の人が集まっていた。見たところ、私が戦前にアマチュアとして珈琲の研究に夢中になっていたときに処々の評判の珈琲店の店主の顔がちらほらと見えた。アマチュアの人ばかりの集まりと聞いていたが、大部分が商売人の方々だ。
前任者の方々は話が終わり帰っていき、殿(しんがり)である私の番がきた。
「アマチュアの集まりと聞いていたのでアマチュア向けに話を用意してきたが、商売人の方々が相手では釈迦に説法でちょっとおこがましいと思いますが、商売人でも間違った認識を持った方々が多いのでそのことをお話したい」と断ってから話を始めた。
まず、米軍の放出した珈琲を使っている方々がサイホン等を使って煮出したものをお客様に提供しているが、ボストンのティーパーティー事件以来の米国の珈琲は紅茶の代用として浅煎りが多い。そのため、この珈琲では色が薄いというので色が濃くなるまで煮出す方法は濁りが出てよくない味が強く、だいいち酸っぱくなる。珈琲問屋から販売していたものはアメリカコーヒーになぞらってか、目方が減って不利になるというので焙煎が浅煎りのものが多かった。問屋から卸してもらったものではなかなか美味しい気に入ったものの入手が困難だ。本格的に珈琲をやろうとする人はこれからは自家焙煎しなければ立ち遅れてしまうと思う。最後に自家焙煎で上手に焙煎した珈琲は砂糖を入れなくても結構甘みもあり、美味しく飲めるものだ。
ここまで話してきて横槍が入った。
参加者の一人が急に立ち上がった。私も顔を知っている神田神保町救世軍横丁にある戦前から名の知れた”S”という店の主人だった。
「今までの話でたいへん参考になる有益な事柄が多かったが、コーヒーに砂糖を入れないでも美味しく飲めるなんて事は納得ができない。昔からコーヒーには砂糖とミルクを添えて出すということは決まっている。いまさらノーシュガーで飲むということは承服できない。でたらめもいい加減にしなさい。」と、半分喧嘩腰でそそくさと帰っていった。もっとも中学の英文法でindispensable(to)(不可欠)の適用例ではコーヒーには砂糖が不可欠であると教科書にも出ているし、慶応医大の有名教授が新聞にコーヒーは動脈硬化の原因になると発表した折、珈琲の組合が講義を申し入れたこともある。教授は「コーヒーには砂糖を必ず入れるでしょ。その砂糖が原因だ。」と言っている。
ルオー喫茶店での会合が終わって帰り支度にかかったとき、この会合を主催した新聞記者が「皆様から集めた会費をうっかり社に置いてきてしまった。申し訳ないが、この店の支払いを立て替えてもらえないか。明日にでもお礼と一緒に店に届けます。」と言う。軽い気持ちで軽食費会場費合計で2万数千円を支払った。数日たってもその人は来なかった。後日、名刺に書いてあったところに行ってみたらドロン。もぬけの空だ。お粗末な話である。
この話には後日談があるが、それは次回に。