ネルドリップに欠かすことができないのがフィルターと名コンビであるポットである。
水を沸かすのに水質に影響を与えない材質といえば、なんと言っても琺瑯である。構造は、注ぎ口が細くなっていて湯がポットの尻にまわらない湯切れのよさがなくてはならない。この注ぎ口がフィルター内の珈琲粉の上に湯滴を置いていく気持ちで滴下するための最高の理想形であると思う。
このポットを作るために長年苦労を重ねてきたので、その話をしようと思う。
今から50年ほど前に市場で売っていたポットは注ぎ口が駄目なものばかりだったが、ある店で比較的細い注ぎ口のポットを見つけた。ブランド標を見ると”月兎印”であった。このメーカーは日本橋の高島屋裏にあった藤井商店という会社で、さっそくここの社長にお目にかかり、何とか特注できないかと相談してみたが、相当の注文数量を提示され諦めた。次に当時の常連のお客さんから従兄弟が江戸川区で琺瑯製品を作っていると安生氏を紹介され、細かい条件を話し協力をお願いしてみたところ「やってみよう」と試作してくれた。しかし、なかなかこちらの要求している内容が理解してもらえず苦労した。それでも試行錯誤を繰り返してどうやら使用できるところまで辿りつき、少量ずつ生産してもらえることもあって大助かりでさっそく使い始めた。それと同時にランブルでも興味のあるお客さんにも分けて喜んでもらっていた。
左:ランブルオリジナルポットの鶴口状の注ぎ口 右:市販のポットの注ぎ口 |
その後、琺瑯鉄器の業界が統合して新潟の燕市に総合的な規模の大きな工場を建て輸出用の琺瑯製品を作る計画が持ち上がり、先の安生氏も自分の設備を現物出資のため全て燕市に供出してしまった。それからまもなく1971年(昭和46年)あの有名なニクソンショックが起こり、この計画は霧散したのだが、安生氏はこれで設備一式を失ってしまったのでポットの製作は中止となり、困ってしまった。
東中野「あんねて」の森尻氏(「銀座ランブル物語」ブリタニカ社発行の著者)、仙台市「喫」の同人で「プロコプ」の熊谷氏らが、安生氏の作ったランブルのポットの良さを認め自分の店でも使いたいと希望したが後の祭りでどうしようもない。仙台「プロコプ」の熊谷氏から琺瑯製品の会社を紹介してもらい試作してもらったのだが「とても難しくて我が社では製造できません」と断られてしまった。やむなく前出の藤井商店(月兎印)に相談して1ロット2,000個で製造してもらい、3社で案分して販売することにした。ランブルでは短期間で完売したが、ほかの店では在庫が残っているとのこと。追加の発注といっても1ロットで2,000個ではなかなか手が出せない。しかしこの頃から、どうしたことかランブルのポットとそっくりなものを食器店で見かけるようになり、それとなく調査してみると関西の業者から売られていて、製造した琺瑯会社は東京深川の野田琺瑯だと分かった。さっそくランブルのポットを造ってもらえないかと訳を話してみたところ、野田琺瑯の社長は「ランブルさんのオリジナルポットとは知らず、関西の業者から見本を見せられ作った」と言っており、ランブルのポットを造るかどうかは依頼主の了解を得てからと慎重だった。が、依頼主の業者はすでに無くなっていたので、あっという間に話は決まった。
余談だが、琺瑯製品には質の良いものが少なく、すぐに剥がれてしまう。私が使っているのは英国製とデンマーク製のものだが、50年以上経っても未だに健在である。価格は高いが長持ちする。日本では値段が高いと売れないそうだ。琺瑯に適する材料の鉄板が外国にはあるが、これを輸入して造ると高価になるため、販売競争ができないと聞いている。これが琺瑯製品の良い意味での普及が未だにできない理由だとのことである。こういった事情を受けてランブルでは今、ステンレスのポットを試作している。